クレープと川散歩 - 「ノブレス・オブリージュ」
川沿いの風が少し冷たく感じられる秋の午後。私は無意識のうちにその風を避けるようにして歩いていた。時折、川から立ち昇る湿り気を含んだ空気が頬に触れるが、その感覚がむしろ心地よいと感じた。見慣れた道、見慣れた川。しかし今日は少しだけ特別だった。普段は何もない場所に、一台のフードトラックが停まっているのが目に入ったからだ。
フードトラックから漂う甘い匂いに、自然と足が向かう。まさかクレープか。少し驚きながらも、私はその列の最後に並んだ。クレープ、懐かしいな。最後に食べたのはいつだったろうか。ふと、遠い記憶の中に埋もれていた情景が浮かび上がる。昔、友人と街の屋台で買ったチョコバナナのクレープ。甘くて、温かくて、そしてなんだか特別な時間だったことを思い出す。
列が進み、私は看板に目をやった。そこには、いくつかのクレープの名前が並んでいたが、その中でひとつ、目を引くものがあった。
「ノブレス・オブリージュ」
「高貴さには義務が伴う」という意味を持つこの言葉が、クレープの名前に使われていることに少し驚いた。クレープとは、一般的にカジュアルなスナックだと思っていたのに、この名を冠するとは、いったいどんな味がするのだろうか。
「ノブレス・オブリージュをひとつお願いします。」
そう告げると、店主は静かにうなずき、手際よく生地を焼き始めた。その様子を見つめながら、私は名前の意味を反芻していた。「高貴さには義務が伴う」。この言葉がなぜか頭から離れない。クレープにその名前をつけるとは、いかなる意図があったのか。ただの遊び心なのか、それとも深い哲学が隠されているのか。
やがて手渡されたクレープは、見た目にも繊細で美しかった。生地は薄く香ばしく焼き上げられ、蒸した人参と枝豆のマリネ、ハム、チーズ、レタス。どうも仰々しいように思う反面、このクレープには不思議と似合っていた。
一口かぶりつくと、まず抹茶のほろ苦さが口の中に広がる。それをすぐに追いかけるように、蒸した人参の甘さがその苦みを包み込み、絶妙な調和を生み出していた。高貴な味わい、という表現がふさわしい。このクレープは、単なるスナックとは一線を画す。まるで何か重要な儀式の一部を担っているかのような気さえしてくる。
私はそのクレープを食べながら、再び川沿いを歩き始めた。川のせせらぎは静かで、周りの喧騒がまるで遠い世界の出来事のように感じられる。クレープの名前が「ノブレス・オブリージュ」であることの意味を、噛み締めながら考える。この上品な味わいを享受することは、何かしらの「義務」とでも言えるのだろうか。いや、それは贅沢の享受に対する感謝の念かもしれない。美味しいものを食べる瞬間、それはただの喜びではなく、その瞬間を大切に感じ、味わうことが我々の責任なのかもしれない。
クレープの残りが少なくなるにつれ、私はこの散歩が思いのほか心に響いていることに気付いた。日常の些細な事柄に感謝し、心を向けること。それこそが私たちの「義務」であり、そしてその義務を果たすことで、日々の生活が少しずつ高貴なものへと変わっていくのかもしれない。
川辺にかかる小さな橋を渡ると、再び日常の世界へと戻っていく。だが、手に残ったクレープの包み紙を見つめながら、私は少しだけ気持ちが軽くなったことに気付いた。日々の中にある小さな贅沢、それを忘れずに大切にすることが、私たちの「ノブレス・オブリージュ」なのだろう。
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