私達がクレープ屋を始めようとしたキッカケは、

甘党だった私達が最後まで食べれるクレープが存在しなくなってしまったから。

それならば、自分たちで開発してみようと。



私、甘いものが大好きです。大好きでした。

こんにちは。WEB担当です。
田舎育ちだった私は高校生になり都会にでるまで「クレープ」を食べたことがありませんでした。田舎of田舎だったのでファミレスデビューも高校生になってからです。
そんな田舎男子が都会デビューをしてクレープと出会い、そのままクレープの虜になったのは決して珍しいことではなく。
16歳の”おのぼりさん”に、竹下通りのクレープは刺激が強すぎました。

それから私は色々なクレープを食べました。ホイップクリームだろうが生クリームだろうが白いクリームは全部美味しかった。ハーシーだろうがなんだろうが全部美味しかった。「とりあえずクリームが乗ってて、チョコソースがかかってれば全部美味しい!」みたいな。当時は動物性と植物性のクリームの違いなんてわかってなかったです。

20年前のガラケーの写真なので画素数が悪いですが、こんなパフェも難なく食べてました。
私、バリバリの甘党です。甘党でした。10代、20代、甘いものサイコー!ドーナツもパフェも無限に食べれました。甘党黄金期です。

この世の甘いものをたくさん食べ進んだ20代。そして……

そして30代。問題の30代。男子の体に少しずつ変化が訪れます。
そうです、人生の先輩方は御存知のとおり、我々男の子はアラサーになるとおじさんに成ります。歩が”と金”になるように。私も例外なくおじさん化の呪いが進行しました。
当時の私はまだ体と心の変化に気づいていません。「唐揚げがちょっぴり重たくなってきた。」その程度です。

だがしかし、あるとき!それは突然やってきます。朝7時にドアをノックする警官のように突然やってきます。突然脳が警告を出します。強力な磁場が私の腕を、手を、口を閉じさせます。パフェやシェイクを口に運ぶスプーンが突然止まるんです。手が動かない。腕があがらない。口が開かない。スプーンを置いた。置いた?置いた!

これは「老化」で片付けても良いのでしょうか。それとも食べ過ぎによる神様からの警告でしょうか。謎のままです。わかっていることは、自分は甘いものが大好きだけど、体が拒否反応をするようになったことだけ。

あれから色々なお店の甘いものにチャレンジしました。チェーン店から個人店まで。
チャレンジした中でも希望があったのがクレープでした。クレープはトッピングが豊富で自由度が高いためです。それでも自分たちの体に合う、最後まで食べれるクレープはなかなか…。シュガーバターシリーズは砂糖とバターだけなのでどの店でも簡単に完食できますが元甘党の私はもう少し重たいクレープを体が欲してるのがわかるのです。「お前が食べたいのはこれ(シュガーバター)じゃない」と。

さいごまで食べれるクレープを求めて

あれから新規のクレープ屋を見かけたら挑戦するけど、やっぱり、うーん…?最後のクリームしかない部分がダメだったり、そもそもクリームが受け付けなかったり。甘い香料の強いクレープ生地がダメだったり。美味しいのは最初の3口だけ。後半はかなりシンドい。最後まで美味しく食べたい…。

甘党の私が甘いものがダメになり数年。甘いものがなくても生きていけるけど、元々甘党の人間です。生活にハリがない。
元々食べるのは大好きだったので味のデータは蓄積されてます。だから食べれるクレープが買えないなら自分たちで一度作ってみようと。クレープは必然と甘くなってしまうのかどうかの確認もしたかった。結論から言うとそんなことはなかったです。世間のクレープが甘すぎただけでした。

楽しい楽しいクレープの開発。…になる予定だったのですが世の中そんなに甘くはなく。

最初はクリームの開発からです。業務用のクリームを購入し、比較しながら。
動物性と植物性のクリーム類も。
自分たちで泡立てるので砂糖はなるべく少なめに…。お菓子作りをした経験のある方ならわかると思いますが、砂糖は少なすぎるとクリームが全く泡立ちません。この塩梅がとても難しく、また砂糖が少ないとクリームが固まらないので商品として提供するにはとても扱いづらいものができました。なるほどね!甘いのには理由があったんだ。じゃあどうすれば…。クリームの開発は難航しました。

クリームの開発をすすめながらクレープ生地の開発も始まりました。小麦の香りがふんわり香る、生地だけで美味しいクレープを目指して色々な小麦粉を試しました。牛乳や卵の配合から生地に含まれるタンパク質や油分の調整を細かく細かく食べ比較し、パリパリで白い生地が完成しました。この生地の研究におよそ700日かかりました。振り返れば長かったけど、当時は一瞬でした。

生地が完成するとクリーム類もゴールが見えてきました。パリパリに焼き上げる熱い生地の特性を活かすために、熱に弱いクリームは使えませんでした。動物性・植物性の冷たいクリームは熱で溶けるのです。

熱に強いクリーム。我々がたどり着いた1つ目のゴールがカスタードクリームでした。それでも、カスタードクリームを塗るときは生地を一旦冷ましますが生クリーム類に比べたら相性は抜群に良いです。そのカスタードクリームも当然手作りで、バニラビーンズの強い香料は避け、卵と牛乳と小麦粉と砂糖だけのシンプルで素朴な味で無限に飲めるカスタードクリームを目指しました。
その他にもピーナツバターやクリームチーズ類などなど。パリパリの熱い生地に着地してからは早かったです。700日もクレープと向き合ったので、積み重なった経験値がゴールへ導いてくれたのでしょう。

こうして自分たちが納得できるクレープが完成しました。

クレープができたとき、手元に残った鉄板や機材たち。そして研究の軌跡と経験値。「同じ悩みをもつ人たちがいるならこのクレープを届けよう」ということでキッチンカーを作りました。COTORIDOの始まりです。

「最後の一口までちゃんと美味しいクレープを作る」
あの日からコンセプトは変わっていません。

世間の甘い甘いクレープがダメになった我が友へ
あなたが最後まで美味しく食べれるクレープをCOTORIDOが作ります。